2014年3月22日土曜日

英語が出来る国・苦手な国・必要ない国


どうも、ぬま~りおです。

かなり不定期投稿になっておりますが、深夜にムショウに書きたくなった内容が

あったので書いてみますです。






「日本人は英語が苦手」



よく言われるこの言葉は、半分当たっているようで、半分ハズれている気がする。






言語学の観点などでは、やれ英語と同じゲルマン言語群に属する言語話者の方が、

使ってる文字、近いアクセント、語彙などの観点から習得が早いだとか、

その言語群から遠い言語話者には不利だとか、なんてこともあると思う。



確かに、ゲルマン言語群ではないラテン言語群でさえ英語に近い言葉が多い。

例えば、英語の「interesting」という単語。興味深い、面白いという意味。

これが各言語になると、

ドイツ語 → interessant

オランダ語 → interesant

イタリア語 → interessante

スペイン語 → interesante

ほぼ変わらないし、発音も大した違いがない。意味も同じ。

まさに興味深い。



日常生活でよく使われる挨拶や身の回りの名詞は言語によって大きく違うけど、

長い構成の単語、学術的な単語などは、共通なまま変化が無い。

アルファベットも同じなので、読解力も欧州言語話者の方がアドバンテージがある。



それに比べて、英語から一番遠い言語に当たるといわれているのが、

アラブ語、韓国語、日本語、なんだそうだ。

「だから、仕方ないよ、日本人にとって英語は大きな壁だ」

と、そう言われてしまえばそうかもしれない。



けど、日本人が英語に壁を作る要因はもうひとつある。

それは「必要ない」と思っているからである。

一昨年、南米に旅行したときにそれを感じたエピソードがある。






南米といえば、ブラジルを除く全ての国ではスペイン語が母国語。

スペイン語が全く喋れないので、やっぱり英語でやりくりしたわけですが、

ここで大きな差を感じたのです。



最初に行った国、ペルー。

首都・リマの空港を降りてみると、年代物の車が排気ガスを撒き散らしながら、

バスも箱乗り状態で、まるで古き時代の日本とも言えるような、まだまだ後進国、

いや発展途上である姿がうかがえる。

となると、自国の経済力を発展させるためには外貨の力が必要で、

観光客は大きな財源になる。なので、つたないながらも英語で話しかけてくる

ペルー人は多く、レストランに行っても、英語とジェスチャーでなんとかやりくりできる。

みんな温かい人が多くて、旅行者からすると安心する。

もちろん、経済的に貧困層もいるはずで、治安がいいとは言い切れないが。



次に行った国、チリ。

地図を見てもペルーと隣り合った国で、同じ雰囲気かと思いきやとんでもない。

首都・サンチアゴの空港を出ると、キレイな空港玄関に整った駐車場施設、

高速道路も整備され、都心に入ると高層ビルが立ち並ぶ。かなりの都会である。

道行く人の身なりもキレイで、ブランド店や有名チェーン店もよく見かける。

しかし、レストランや駅では、英語が全く通じないのである。簡単な単語ですら。

というのも、しっかりとした経済力が自国で補えるため、英語が喋れることが

仕事に直結せずに済む環境がある、ということだ。



同じ南米、スペイン語圏、隣り合ったペルーとチリではこうも英語に対する姿勢が

違うんだと感じた旅行だった。






これを日本に置き換えてはどうだろうか。






日本は第二次大戦の敗戦後、復興に向けて国民が尽力した。

その中でも教育という分野もしっかりと地盤を固めたことで、良い人材を育て、

経済力を高めることに成功したわけで、そのためにはこれまでになかった

高等教育を欧米から広く集め、それを日本語に翻訳して現場で使用した。

今では、殆どの学術書が日本語で書かれているため、英語を学ばずしても

修士課程を終えることが出来るようになった。



これはスゴイことで、まだまだ発展途上の国では、あるレベル以上の学問に

進もうとするなら、英語が読み書き出来ることが必須であるため、

いやおうなしに英語に触れなければいけない。

自国の言語で教育が受けられるのは幸せはことであって、これこそ先代が

後世に残した財産だと思う。

でも、それが故に、英語習得が必要ではない環境にもなったわけで。





なので、

日本人は英語が苦手

なのではなく、

日本人は英語が必要ではない

ということなんじゃないだろか、と。






小学校で英語の授業を必須科目にするとか、昨今のニュースで伝え聞くけども、

日本語の地盤が固まる小学生時分に日本語教育をおろそかにするのは私は賛成しない。

言葉は生き物だから、時代によって言葉も変わっていくものだと思うけども、

ご先祖が残した日本語の文化を、そんなに簡単に弱めてしまうのはいかがなものか、と。



それよりも、中学以降でもいいので「英語が喋れないと困る」環境をいかに作るか、

というのが一番効果的なような気がする。

「英語でなんとかしてやろう」「どう伝えればいいんだろう」「何とかしなきゃ」

という経験が、英語力を伸ばす一番の教材だと思う。



イギリスに住み始めた当初、ホストファミリーと住んで、日本人大家のフラットに住んで、

普段の生活でいっぱいに壁にぶち当たったけども、自分で家を借りた時に当たった壁は

それまでよりも巨大で、かなり自分の英語力を鍛えたと思っている。

電話線を引いたり、インターネットを引いたり、ガスが出ない、水道代の交渉、

大家への補修の依頼など、これを今自分がしないと生活がままならない、といった

環境があると、もう当たっていくしかない。誰かに頼めるわけでもない。

そうなると、どうやって説明したら納得してくれるのか、頭をフル回転させながら

その困難を乗り越えようと英語を搾り出す。それが英語力を鍛える結果になったと思う。



因みに、その環境にあった真っ只中、日本に一時帰国して歯医者の予約をした日、

朝起きてすぐベッドの中でしばらく「さて、英語でなんて説明するかな」って

頭の中で考えたこともあって、日本語でOKだと気付くのにちょっと時間がかかった。

それくらい、英語で何とかしてやろう、な環境に居たってことなんだろうかな、と。



なので、

「英語が苦手な言語に生まれた」

と、勝手に嘆くより

英語が必要な環境を探そう

という方向に向かえば、自然と英語力が育まれるのではないのかな。






あと、英語でしくじった時や相手に理解されなかった時でもめげてはダメ。

お前が日本語喋れないから英語喋ってあげてるんだよ!

くらいの上から目線でいいと思う。

言葉はただ単にコミュニケーションのツールであって、重要なのは中身。

喋ってる段階で劣等感を感じては、何も対等には進まない。

なので、英語を喋らないといけない環境に飛び込むことは決して難しいわけじゃない。



それを乗り越えたら、「あー、英語喋れてよかったな」って思えるのかなー。






なんて。

また長文になってしまいましたが、この辺で寝るとします。






ぬま~りお

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